闇金相談福島編 男性(44):震災後に新潟に移住…仕事もなく闇金へ…
私は福島県で生まれ育ちました。
都会に比べて不便ではありますが、のどかな田園風景が広がり、海もある。
それが魅力だと思っています。
ここには、せかせかした都会とは違うゆっくりした時間が流れているように感じます。
私が住んでいたのは海からそう遠くないエリアでしたので、子どものころから、何か悩みがあるときにはいつも自転車を飛ばして海を見に行きました。
海を見ると、心がスッと落ち着くのです。
私はなんてちっぽけなことで悩んでいたのだろう。
こんな悩みなど、大した問題ではないやと思えるのです。
若い頃には都会に憧れたこともありましたが、今ではやはり福島が好きです。
遠くに見える山々、高い空、母なる海。
どれも私の大事な宝物ですし、生涯福島に住み続けたいと思っていました。
しかし。
2011年の3月11日。
私の大好きなこの福島を、あの大震災と津波が襲いました。
地震が起こった時、私は仕事中で車を走らせていましたが、異変に気付いて車を路肩に停めました。
地震だ!これはただ事ではないぞ。
車に乗っていたためさほど大きな揺れだとは感じなかったのですが、周囲の様子を見るとかなり大規模な地震だったようです。
それから少し経った頃でしょうか。
「津波が来るぞ!みんな逃げろ!!」
近くにいた男性が大声で叫んだのです。
海のほうを見ると、白い波がうねりながら登ってくるのが見えました。
まるで街そのものを飲み込もうとしているかのように。
これは悪夢か現実か・・・。
津波の高さは相当なもので、これが到達すれば自分が立っている場所も無事では済まないはずだというのはすぐに分かりました。
私はとにかく、高い場所へ急いで避難しようと考えました。
無我夢中で逃げ、なんとか命は助かりました。
幸い、家族の無事も確認することができました。
地震の状況が良く分からなかったため、とりあえず家族とともに避難場所に身を寄せました。
しばらく経ってようやく少し落ち着きを取り戻し、現実を少しずつ理解できるようになって来ましたが、眼前に広がる景色は私を愕然とさせました。
大好きだった風景は跡形もなく消え、建物の多くが倒壊。
辺り一面、茶色い地面と瓦礫だらけです。
自宅や親戚の家も被害を受けており、避難所での生活を余儀なくされました。
これだけでも耐えられない状況なのに、さらなる悲劇が福島を襲います。
津波によって起こった、福島第一原発の事故です。
専門家ではありませんので詳しいことには触れませんが、皆さんのご存知の通りです。
私が住んでいた地域には避難指示が出ていませんので、自主避難をするしかありません。
周りの多くの人たちが、親戚などを頼って自主避難をしたようでした。
原発の情報は不透明で、どれを信じてよいか分からず、不安ばかりが募っていきました。結局、子供たちのことを考えて我が家も自主避難することを決めました。
はじめは遠方にいる親戚などを頼っていましたが、あまり長いことお世話になるわけにもいきません。
私たちは最終的に、新潟への移住を決めました。
知り合いの全くいない土地でもありますし、もちろん今までやっていた仕事も通用しないでしょう。
私の年齢も40歳を超えており、再就職が簡単でないことも分かっていました。
移住後すぐにハローワークなどに足を運んで仕事を探しましたが、やはり簡単には見つかりませんでした。
そもそも、仕事の募集が35歳までなどというものが多く、私の年齢ではまずそこをクリアできないのです。
震災と原発事故で全てを失っていますから、当然貯金などほとんどありません。
アパートを借りたものの、仕事が見つからなければこの先生活していけません。
とはいえ、このまま福島に居続けたら子供たちの被曝が心配でしたし、こうするほかなかったのです。
結局何度面接に行っても採用されず、わずかばかりの貯金は底をつきそうになっていました。
仕事がない。これでは家賃も払えませんし、食費を捻出することもできません。
私が食べられないのは構いません。
しかし、成長期の子供達には、少しでも食べさせてあげたい。
私は、仕事が見つかるまでお金を借りることにしました。
しかし無職でしたので、大手の消費者金融や銀行などはどこもお金を貸してくれませんでした。
震災の被災者だからと言って優遇してもらえないのは分かっていましたが、やはり現実は厳しいようでした。
愛する故郷を失い、住むところを失い・・・。
地震は天災だからある程度仕方がないことかもしれません。
では、原発は?
国が勝手に作った原発の事故で、なぜ私たちがこんな目に遭わなければならないのでしょうか。
絶望で目の前が真っ暗になっていたころ、街中であるビラを目にしました。
「ブラックOK」「無職OK」などと書かれています。
これは、貸金屋のチラシのようでした。
見るからにあやしいのですが、もう、生き延びるには手段を選んでいられません。
私はそこに書かれていた携帯番号に連絡を取りました。
死に物狂いで仕事を探し、返済しよう。ある程度金利が高くても仕方がない。そう思いました。
とりあえずの間生活ができる現金を手にしましたが、金利は高く、闇金であることは明らかでした。
結局、返済期日までに仕事が見つかる事はありませんでした。
年齢が高いと、バイトですら雇ってもらえない状況なのです。
闇金に返済できないことを告げると、とりあえず親戚や家族に借りてでも利息だけは払えと言われました。
仕方なく親戚と連絡を取り、利息分のお金を借りることにしました。
その後も、やはりどうしても仕事が見つかりません。
結局別の闇金からもお金を借りるしかありませんでした。
まさか闇金に相談するなんて思ってもみませんでした・・・。
闇金は、アパートにまで取り立てにやって来ました。
ただでさえ避難してきたということで肩身の狭い思いをしているのに、アパート中に私の借金のことが知れ渡り、ますます立場が無くなってしまいました。
そのうちに闇金は隣の家にまで取り立てを行うようになり、時には、嫌がらせで大量のピザなどが届くこともありました。
度重なる取り立てや嫌がらせの恐怖で、子供たちの心に傷が残ってしまうのではないか?そのことが心配で仕方ありませんでした。
さらに、親戚などの連絡先もいくつか教えてしまったので、いつ親戚に取り立ての魔の手が伸びるかと気が気ではありません。
ご近所に合わせる顔がない。
でも、故郷の福島に帰ることもできない・・・。
親戚にお金を借りる事も、もうできません。
闇金からの借金は数社に上り、自分でも把握しきれない金額に膨れ上がっていました。
なぜ・・・。
震災被害に遭った私たちが、肩身の狭い思いをしなくてはならないのでしょうか。
闇金の餌食にされなければいけないのでしょうか。
この国は間違っている。
必要な人たちに、必要な支援をすべきではないのか?
おまえたちは運が悪かったから諦めるしかない。
国から、そうやって切り捨てられているように思えてならないのです。
私たち大人はまだ耐えられる。
しかし、将来ある子供たちだけでも支援してほしい。
それが、親としての切実な願いでした。
どちらにせよ、すでに闇金からお金を借りてしまった事実は消えません。
今後も仕事が見つからなければ、膨らみ続ける利息にさらに悩まされることになるでしょう。
どうにもならなかったとはいえ、闇金から借りてしまったことが悔やまれます。
闇金と手を切るにはどうしたら良いのだろうか?手を切れる日は来るのだろうか?
絶望の長い長いトンネルの、出口を探し続けながら毎日を過ごしているような状況です。