闇金相談岩手編 男性(28):東京から帰ってきて仕事を探すも仕事がなく闇金へ
私は大学進学のために、生まれ育った岩手を後にし、東京へ出ました。
そして大学を卒業後はそのまま、東京で就職をしました。
東京には10年くらいいたことになりますが、やはり最後までなじめませんでした。
私は田舎育ちのためか、東京の人たちとは持っている空気がどこか違うようなのです。
大学には私以外にもいろいろな地方から来た学生がいたのでまだ良かったのですが、就職してからというもの、自分が東京の人間とは違うということをひしひしと感じるようになりました。
岩手から出てきたということを周りの人たちにひた隠しにして必死に都会育ちを装っていましたが、私の振る舞いや性格などから、実は都会育ちじゃないということがすぐにバレてしまうのです。
「○○さんってどこのご出身ですか?なんだか純朴ですよねえ。自分にはないものを持っている感じで癒されるな」
などと、よく言われました。
誉め言葉と受け取ってよいのか、実は馬鹿にされているのか。
都会に擦れていない自分に、なんだかむなしさを感じました。
就職をして数年が過ぎたころには、田舎育ちを必死に隠して周りについて行こうとする事に疲れを感じるようになりました。
私にはやっぱり、都会暮らしは向いていないのかな?
そんな迷いを抱えながら暮らしていたころ、あの大震災が故郷の岩手を襲いました。
私の実家は倒壊こそ免れたものの、浸水などによって甚大な被害を受けました。
そして地元の友人や知人の中には、犠牲になった方もいました。
そんな現実に直面し、なんだか自分だけが震災を逃れたような気がして申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
しかし、罪悪感を持って生きることに意味があるとも思えません。
地元に申し訳ないという気持ちをなんとか心の奥にしまい込み、私は東京の人間になじもうと必死になりながら精いっぱい仕事に打ち込みました。
しかし、ついに限界が訪れました。
自分をごまかしながらの、なじめない都会暮らしへの辛さ。
心の奥底にある、故郷の家族や友人に対する罪悪感。
それは日に日に私の中で大きくなって行き、ついに心が壊れてしまったのです。
私は鬱のような状態になり、仕事をすることもままならなくなってしまいました。
しばらくは休職をさせてもらっていましたが、このまま同僚たちに迷惑をかけるわけにもいきません。
私は地元に帰ってしばらく療養したあと、地元で新たな仕事を見つけることに決めました。
いわゆる、Uターンというやつです。
約10年の東京暮らしに別れを告げ、私は岩手へと帰りました。
とはいえ実家も被害に遭っており、両親は自分たちの生活をしていくだけで精いっぱいの状況です。
東京の大学に進学させてもらったのに、病気になったから療養させてくれなどとは言えるはずがありません。
私は両親に心配をかけまいと、地元の復興に少しでも役に立ちたいから岩手に帰って仕事を探すと嘘をつき、今までの貯金を使ってアパートを借り、生活を始めました。
体調が回復すると同時に、私は早速仕事探しを始めました。
仕事はすぐに見つかるだろうと思っていましたが、それは全くの誤算でした。
今まで自分がしてきたことが通用しない・・・。
まだ大学を出て数年でしたし、専門職というわけでもありませんでしたから、今までのキャリアは役に立ちませんでした。
そしてやはり、岩手は東京に比べて給料が安く、私は就職活動に対する意欲を持てなくなっていました。
もちろん、家賃等は東京と比べて格段に安いですが、そういう問題ではないのです。
東京の大学に受かるために必死に勉強し大学時代もあまり遊ぶこともせずに頑張って来たのは、いったい何のためだったのか?
そんなむなしさでいっぱいになってしまったのです。
無理をしてでも、東京にいればよかったのではないか?
そんな後悔も頭をよぎりました。
数社の面接に行きましたが、経験がない、資格がないなどの理由からどれも不採用となりました。
東京より給料が安いうえに、採用されない。
そんなことがあるのだろうか?
私は絶望しました。
私は大学を出ているので、どこに行っても仕事なんてすぐに見つかるものだと思っていたのです。
仕事が見つからない上に、貯金はもうすぐ底をつこうとしています。
しかし被災して大変な生活を強いられている家族や友人のお荷物になるわけにもいかず、誰にも悩みを打ち明けられませんでした。
結局仕事が見つからないまま、貯金はなくなりました。
アパートの家賃も払えず、今日、明日食べる物にも困る始末です。
それなのに、相変わらず仕事は不採用が続きました。
どこかでお金を借りなければ。
そう思っていた時、あるチラシを目にしました。
チラシには
「無職の方にもお貸しできます」
「今すぐ現金」
などの謳い文句が踊ります。
仕事をしていないためなかなかお金を貸してくれるところが見つからずにいましたから、私はこのチラシが救いの神からの贈り物だと感じてしまったのです。
すぐに連絡を取り、当面の生活費を貸してもらうことにしました。
借りたお金が無くならないうちにと必死で就職活動をしましたが、やはりどこも不採用ばかり。
そうこうしているうちに、業者へ返済しなくてはならない日がやって来ました。
恐る恐る業者に連絡をし、返済が無理なことを話しました。
「返せない?期日は今日というお約束でしたよね?」
丁寧ながらも、業者はドスの効いた声でそう言いました。
それを聞いて、私は確信しました。
この業者が、いわゆる闇金と呼ばれる業者なのだろうということを。
今冷静になって考えれば、無職の人間に喜んで金を貸す業者などあるはずがありません。
被災地だから?
そうとも思いましたが、世の中、やはりそんなに甘くはないのです。
闇金からの取り立て電話は、その後も毎日、何度もかかってくるようになりました。
「地震で大変なのはわかるよ。でもよ、貸したもんは返してもらわねえと。こっちもあまり手荒なことはしたくねーけど、このままだと家族や親戚に回収に行くしかなくなるぞ。それもいいのか?」
闇金は、家族への取り立ても示唆しました。
家族は被災し、今も大変な生活を強いられているのです。そんな家族に迷惑をかけるなど、絶対にできません。
「申し訳ございません。何とか仕事を探してお返ししますから、家族にだけは・・・」
私は、必死で闇金に懇願しました。
いよいよ取り立てができそうにないと分かってくると、闇金の態度はさらに激しくなりました。
口調も口汚く変わっていき、精神的にさらに追い詰められます。
東京から帰ってきたことを今さら後悔しても遅いですし、仕事が見つからないことを嘆いても仕方がありません。
でも気持ちは焦るばかりで、焦れば焦る程に仕事は見つかりませんでした。
闇金とは恐ろしいものです。
私はともかく、被災して辛い生活を余儀なくされている人たちを平気で食い物にするのですから。
誰にも闇金の相談なんて出来ないのですから。
本当に、許せない気持ちでいっぱいです。
これ以上私の故郷の人たちを苦しめないでほしい・・・。
辛いとき、どうにもならない時に手を差し伸べてくれる貸金業者。
冷静な判断が出来ない状態だからこそ、もっと気を付けるべきでした。
この世に美味しい話など無い。
無職の私にお金を簡単に貸してくれるなんて、裏があるに決まっているのです。
私はもうすでに、闇金と関わってしまった。
心臓をえぐるような激しい取り立ては、もちろん今も続いています。
そして、私はなすすべもなく、情けなく闇金に謝り続けることしかできません。
もし仕事が決まったとしても、すでに利息は膨らみ、焼け石に水のような状態だということは容易に想像がつきます。
どうしたらこの恐ろしい闇金から逃れることができるのか・・・。
この闇金地獄には、出口が無いとしか今の私には思えません。