闇金相談熊本編 男性(51):地震で全てを失い闇金へ…
私は今まで、地道に真面目に仕事一筋で生きて来ました。
酒もたばこも、もちろんギャンブルもやりません。
老後を安泰に過ごしていくためには、健康な体を維持し、必要な財産を地道に維持していくことが一番大事だと思っているからです。
ギャンブルも、酒も、たばこも、老後を安泰に過ごすための邪魔者でしかないと考えています。
毎日早寝早起きをして規則正しい生活をし、年をとっても働けるようにと、体力維持のために筋トレやランニングなどにも励んでいました。
飲み歩いては体調を崩して会社を休んだり、ギャンブルがやめられなかったりする会社の若者たちには、つい説教をしたくなってしまいます。
しかし・・・。
こんな私が、一瞬で全てを失うことになるなんて思ってもみませんでした。
2016年4月14日、16日に立て続けに発生した熊本地震。
この地震が、私の地道な生活を一瞬にして奪ったのです。
一度目の地震では自宅は少し被害を受けただけにとどまりましたが、まさかその2日後にもう一度地震が来るとは・・・。
あれだけ大きな地震があった後にまだ「本震」があるなど、誰が想像できたでしょうか。
4月16日の午前1時25分。
2日前の地震ですでに被害を受けて傷んでいた自宅を、熊本地震の本震が容赦なく襲いました。
このままでは家がつぶれるぞ!
私は家族を連れ、命からがら家から抜け出しました。
私の自宅は、全壊。
持ち出せたものは、枕元にあった携帯電話とシステム手帳のみ。
着の身着のままというのはまさにこのことだと思いました。
妻も子どもたちも同じような状況でした。
家の横に停めてあった車にはがれきが落ち、屋根がつぶれてしまいました。
車中で過ごすことは困難で危険が伴ったため、私たちは最寄りの避難所に避難することに決めました。
今まで地道に働き、家族にもあまり贅沢はさせずに生きて来ました。
住宅ローンはまだ残っていましたが、それなりに貯金がありました。
家族の日々の生活、子どもたちの進学や結婚、私たちの老後の生活・・・。
すべてが安泰のはずでした。
しかし・・・。
貯金通帳もキャッシュカードも、避難の際に持ち出せませんでした。
余震が続いて危険なため、がれきの中を探すわけにもいきません。
私は自宅近くの会社に勤務していましたので、会社も当然被害を受けました。
事務所は倒壊し、業務ができる状況ではありません。
会社は、とりあえず無期限の休業ということになってしまいました。
つまり、私は職も失ってしまったということになります。
それから数週間後経っても、私たちはまだ避難所での生活を余儀なくされていました。
避難所でいただける食料で何とか生活してきましたが、今後の生活も考えていかなければなりません。
親戚や親兄弟はみなこの一帯に住んでおり、みな同じような被害を受けています。
ですから、身内の世話になるという事もできない状況です。
住宅ローンがまだ残った家は倒壊してしまい、今後住むところを確保するのは困難でした。
また家を建てれば二重ローンになってしまうのではないだろうか?そんな不安が頭をよぎります。
それに私はもう51歳。
もし今から家を建てても、住宅ローンを払い終えられるかどうかは疑問です。
そのうえ、会社が無期限の休業では収入もありません。
この年齢で再就職というのはただでさえ大変なのに、この状況では絶望的でした。
子供たちのためにも、ずっとこのままというわけにはいかないだろう。
二人の子供たちは年頃の娘ですから、お風呂に入って清潔にしたいだろうし、服だって着替えたいだろう。
それに妻だって。
私は自宅のがれきから通帳などの貴重品を必死で探しましたが、なかなか見つかりません。
もしかしたら、すでに火事場泥棒のような何者かに盗まれたのではないか?そんな疑念が頭をよぎります。
気持ちが焦り、私は空回りするばかりでした。
プライバシーの無い避難所での生活や今後への不安で、私のストレスは募っていくばかりです。
仕事も探さなければなりません。
しかしそれは簡単なことではありませんでした。
相変わらず通帳も手元にありませんでしたし、今後の生活を思うと不安で押しつぶされそうです。
何とかしなければ。家族4人が暮らしていくために、やはりお金が必要だ。そう思いました。
そんなある日、仕事を探そうと避難所を出ると、あるビラが貼ってあることに気づきました。
それはお金を融資してくれるという業者のビラのようでした。
私どものような生活になってしまった方はほかにもたくさんいらっしゃるでしょうから、そういった人たちをターゲットにしているのだと思いました。
私が、お金を借りる?
住宅ローン以外に借金をするなど、考えたこともありませんでした。
でも、今はそんなこと言っていられる時ではありません。
通帳は見つからなかったものの、幸いまだ残高があるようで、携帯電話は使えていました。
借金をするなんて嫌でしたが、生きていくためには仕方がありません。
私は、携帯電話から業者に電話をかけました。
電話で業者から待ち合わせ場所を指定され、無事にお金を手にすることができました。
なんて、親切な業者なんだろう。
私は、久しぶりの安堵感に浸りました。
しかし返済期間は短く、仕事もまだ再会できていなかった私は、当然借金を返済できませんでした。
仕事を探しますからもう少しだけ待ってください。そう平謝りし、何とか返済を待ってもらうことができました。
本当に申し訳ない。この業者には頭が上がらないと思いました。
それでもなお仕事が見つからず、借金を返済することも生活を立て直すこともできませんでした。
3回目の返済日を迎えた時。
これまで優しく待ってくれていた業者の態度が一変しました。
「おい、さっさと貸した金返せ。こっちもボランティアで金貸しやってるんじゃないんだよ。勘違いするな」
「これだけ待ってやってまだ返せないっていうのか?」
今まで優しく返済を待ってくれていた業者は、実はいわゆる闇金業者だったのです。
携帯電話にひっきりなしに電話がかかります。
電源を切っておきたかったのですが、このような状況でいつどこから電話がかかってくるか分かりませんし、常に切っておくわけにもいきませんでした。
電話が鳴るたびに避難所の周りの目も気になりましたし、お金が返せない申し訳なさもあり生きた心地がしませんでした。
こんな時だから優しくして欲しいなんて甘いことは言いません。
しかし、こんな目に遭っている人間たちまで平気で食い物にするとは・・・。
闇金は、とことん恐ろしいと思いました。
以前、東日本大震災の被災者の方たちの中にも闇金被害に遭っている方がいらっしゃるという話をネットで読んだことがあったのを思い出しました。
もっと、考えるべきだった。
通帳が見つからなければ、こうなる前に銀行に問い合わせてみればよかったですし、国の支援で利用できるものがあったかもしれません。
できることはほかにもあったでしょう。
でも、避難生活のストレスや今後の生活の不安などで押しつぶされそうな精神状態の中、これが私の精一杯だったのです。
闇金からお金を借りてしまったことは、悔やんでも悔やみきれません。
まだ、ひっきりなしの取り立ては続いています。
もう少し冷静になっていれば、こんなことにはならなかったのです。
今現在、お金に困っている方に言いたいです。
闇金からは絶対にお金を借りないで下さい。
出資法で決められた上限の金利は、年に20%までだそうです。
それを超えるような金利であれば、どんなに親切な業者でも闇金ですから、絶対に信じてはいけません。
震災や災害など、日常を奪われてしまったような状況でも、闇金から借りる以外にできることを模索して下さい。
私のような後悔を、もう誰にもして欲しくないのです。