闇金相談新潟編 女性(38):シングルマザーが陥った闇金地獄
私は新潟に住むシングルマザーです。
子供は高校生2人と中学生一人の3人。
全員女の子です。
3人の子供を持つ私がシングルマザーになってしまった原因は、元夫の不倫と暴力でした。
元夫は飲食店を経営していたのですが、そこでバイトをしていた女子大生と元夫が恋仲になりました。
その飲食店では、もちろん私も従業員として働いていました。
二人の仲が怪しいということは、傍目に見ても良く分かりました。
そのことを元夫に問いただすと、理不尽に殴られ、
「お前に魅力が無くなったのがいけないんだ。俺の心を取り戻したいならもっときれいになれ。お前のその辛気臭い顔を見てると嫌気がさすんだよ」
などと、自分の不倫を正当化しようとしました。
さらに、
「お前はダメな女だな。いつも部屋は散らかっているし、家計のやりくりも下手だ。使えねえ女に捕まっちまったもんだな」
「子供たちが生意気なのは、お前の教育がなってないからだ。まともな飯すら作れないなら、子育てくらいまともにしたらどうだ?」
などと、モラハラのような発言を毎日されました。
私だけならいいのです。
私だけに対する暴力や暴言なら、私が耐えれば何とかなります。
しかし元夫は、子供たちにまで理不尽な暴力やモラハラをするようになっていきました。
「お前は母親に似て馬鹿だな。将来に何の希望も持てない」
「お前、本当に俺の子か?俺の子なら、こんなに不細工なはずはないんだがな」
年頃の女の子が傷つくことも平気で言いました。
さらにお酒が入っている時や機嫌が悪いときは、子どもたちにも手を挙げました。
子供たちは女の子です。
もし体に、一生残る傷ができてしまったら・・・。
私は身を挺して子どもたちを守りました。
もう限界だ。
そう思っていた頃、当時中学生だった長女が
「ねえ、お母さん。お母さんがお父さんの暴力にこれ以上耐える必要は無いんじゃない?私たちは貧乏でも平気だよ。高校も県立に行くようにするから」
そう言ってくれたのです。
私は大丈夫だったのですが、子供たちがこれ以上精神的にも肉体的にも傷つけられることが耐えられなかったので、離婚を決意しました。
もちろん、世間体を気にする元夫は抵抗しましたし、離婚するなら子供を全員置いて行けと騒ぎましたが、子供たち全員の意思で私が引き取ることとなりました。
親子4人でアパートを借り、新しい生活が始まりました。
とはいえ、一番困ったことはやはりお金です。
私には手に職がありませんでしたから、給料の良い仕事に就くことは困難でした。
月に数万円というパート代だけで生活していかなければならないことは確実となります。
元夫には不倫をしていたという事実がありましたから、それに対する慰謝料が取れることになっていました。
しかし元夫が経営している飲食店は業績があまり思わしくなく、慰謝料をもらうことは実際には不可能なことでした。
離婚してすぐ、長女が高校に進学しました。
いくら県立高校を選んだとはいえ、どうしてもお金は必要になります。
制服代に、指定のトレーニングウエア代、教科書代に修学旅行代。
私のパート代だけでまかなうことは本当に大変でした。
生活を切り詰め、子どもたちに侘しい思いをさせてしまう事が、一番つらかったです。
両親にでも援助を頼んだらどうか?と思われるでしょう。
しかし、両親は私が元夫と結婚することに最初から反対しており、元夫とは駆け落ち同然の結婚でした。
そんな事情があり、実家に頼ることは絶対にできなかったのです。
生活保護を受けることも、周囲の目が気になりなかなかできませんでした。
長女が入学した1年後、年子の真ん中の娘も高校に進学をしました。
実は第一希望の県立高校に落ちてしまい、私立高校へ進学することになってしまったのです。
正直、私の収入で私立高校へ行かせるのは不可能でした。
でも、高校くらいは卒業させてあげたい。
何とか死ぬ気でパートを掛け持ちすれば教育費を払えるだろうか?
そう考えて、進学させる決意をしました。
さらに、一番下の娘は中学生になりました。
こちらも制服代やらトレーニングウエア代やら、意外にお金がかかります。
さらに毎月の給食費もバカになりませんでした。
収入は、私の10万円前後のパート代だけが頼りです。
それが途絶えたら、子どもたちは学校に行けなくなるだけでなく、満足に食べる事すらできなくなってしまいます。
そのプレッシャーは、私の両肩に常に重くのしかかっていました。
そのストレスもあったのでしょう。
私は頭痛やめまい、ほてりなどが頻繁に起こるようになり、ひどい時には起き上がれない日も出て来ました。
それは若年性更年期障害の症状でした。
私が働かなければ、収入が得られない。
焦れば焦るほど、症状は悪化しました。
仕方なく私は消費者金融でキャッシングをしてその場を凌ぐことにしました。
とはいえ消費者金融というのは総量規制があり、年収の3分の1までしかお金が借りられないのです。
私の収入では借りられる額はたかが知れていました。
結局子供たちの学費や修学旅行代などを払うため、数社から借金をしました。
しかし複数の会社から借り入れをして滞納もしてしまっていたため、これ以上はどこも貸してはくれませんでした。
働けない、お金も借りられない。このままでは、子供の給食費が払えない・・・。
私はボーっとする頭で、お金を貸してくれる業者をスマホで探しました。
そこで私はある貸金業者のHPを見つけました。
そのHPでは親切そうな女性が微笑んでいて、安心感を覚えました。
「主婦の方、年金暮らしの方も安心!」
「多重債務者の方も一度ご相談下さい」
「低金利」
などと書かれています。
一か八か、ここに連絡してみよう。
私はその業者にコンタクトを取りました。
「そうですか、お客様それは大変ですね。
私どもならお力になれますから、ご安心くださいね」
業者はそう言ってくれました。
安心して涙がこぼれました。
はじめは少額を借りました。
大変でしょうからとりあえず今は利息だけ返してくれればいいですよ。
業者はそう言ってくれました。
さらに、子供関係の支払いが重なった時などには追加融資までしてくれたのです。
本当に、頭が上がらないなと思いました。
体調のいい日は、必死に働きます。
それでも、いくら頑張っても、資格も職も無い私が稼ぐお金には限界がありました。
私の体調は、日に日に悪化して行きました。
若年性更年期障害以外にもなにか不調があるのかもしれませんが、病院にかかるお金がなかったためにはっきりさせることすらできません。
新潟の冬の夜は本当に冷えますが、お金がないので暖を取ることもままなりません。
親子三人、空腹に耐えながら毛布を掛けて過ごしました。
そしてついに、業者からの借金の利息すら返済できなくなってしまいました。
追加でかなりの融資を受けてしまっていたため、利息も含めて借金は私の手に負えない額になっていました。
一円も返済できなくなった途端、業者の態度が変わりました。
私がお金を借りていたのは、親切な業者なんかじゃありませんでした。
実は闇金だったのです。
毎日何度も、闇金からの取り立て電話が鳴ります。
子供たちは電話が鳴るたびにびくっと怯え、表情を曇らせました。
それは、心臓をえぐられるような音に感じました。
「お母さん。母子家庭で大変なのは分かるんだけど、こっちも慈善事業じゃないんでね。貸したもんは返してもらわないと」
「立派な娘がいっぱいいるんだし、風俗で働かせろよ」
闇金には過激なこともたくさん言われました。
「やめてくださいそんなこと!子供たちにだけは絶対に手を出さないでください。お願いします。なんとか働いて返しますから・・・」
「だったら、あんたが風俗で働いたらどうだ?まだなんとか使い物になるだろう。今からそっち行くから覚悟しとけよ」
とにかく闇金は、いろんな手を使って私を精神的に追い詰めて来ました。
この先どうしたら。
でも、何としても子供たちだけは守らなければ・・・!
あの時。
なぜもっと、国の補助制度などをしっかり調べなかったのでしょう。
体調が辛かったとはいえ、なぜHPのイメージだけに騙されて闇金なんかからお金を借りてしまったのでしょう。
なぜ、もしあの時、もっとこうしていれば・・・。
そんなことを今さら言っても、もう遅いのです。
私は無知でした。
それは認めますが、もし国や地方自治体などがもっと母子家庭を守ってくれたら、こんなことにならなかったのではないか?という、悔しい気持ちがあることも事実です。
でも、私がすでに闇金に手を出してしまったことは、消しようもない事実なのです。
今はこのサイトを通して闇金相談をさせて頂いたお陰で。何とか関係を断ち切り、一歩ずつ人生をやり直しています。