闇金相談仙台(宮城)編 男性(40):復興支援で仙台に移住…その先での転落人生
私は少し前まで、東京のある企業で働いていました。
年収は正直多い方だったと思います。何不自由なく暮らしてきましたし、若くして管理職に登り詰めこの先も出世は確実でしたので、不安な要素は何一つありませんでした。
しかし、私は自分の人生に何となく物足りなさを感じていました。
がむしゃらに頑張っていた入社当時は本当に楽しかったのですが、もう欲しいものが無くなってしまったというか、目標が無くなってしまったというか・・・そんなむなしさがありました。
毎日同じ日々の繰り返し。
私は、誰に必要とされているのだろうか、こんな毎日に意味があるのだろうか。
安定した暮らしは確かに大事です。
でも、それだけが人生じゃないのではないか!
そんな気持ちを抱えて過ごしていた2011年。あの未曽有の大震災が東北を襲いました。
私の住んでいた東京も、経験したことの無いほどの揺れに襲われました。
数時間後にテレビに映し出されたのは、思わず目をそむけたくなるような、変わり果てた被災地の姿でした。
これが、実際に日本の何処かで起こっている現実だというのか?
私はにわかには信じられませんでした。
というよりも、自分の心をショックから守るために、どこかで信じないようにしていたのかもしれません。
映画の中のワンシーンを見ているような感覚にしか、どうしてもなれなかったのです。
なるべく痛みを感じないように、感じないようにしている自分に、無性に腹が立ちました。
私は現実から目を背けている!実際に被害を受けた方たちは、どれほどに辛く、不自由を強いられているのだろう。
自分が何不自由なく暮らしていることが、なんだか申し訳ないことのように感じました。
それから数か月。世間では、震災の話題は減りつつありました。
しかし、私の心の中にはどこかモヤモヤが晴れずにいました。
被災地には、今も困っている人たちがいる。
日本の何処かに、まだ辛い思いを抱えた人たちがいる。
今までは、被災地のものを買って支援をするとか、募金をするとかして何とか自分の気持ちをごまかしてきましたが、本当にこれで良いのだろうか?と思うようになりました。
そこで私は休暇を利用し、思い切って被災地へボランティアに行くことに決めました。
瓦礫の撤去作業から物資の仕分けなど、やることは山ほどありました。
同じようにボランティアに参加した方たちは熱い志を持った方が多く、たくさんの刺激を受けました。
休暇を利用したため、本当に短期間しか活動できなかったのが心残りでした。
それからしばらく、私は平凡な日常を送りながら、ぼんやりと被災地の事を考えることが多くなりました。
もっと役に立ちたい。
本格的に活動するには被災地の方との信頼関係も必要だろうし、ある程度長期で滞在できたほうが良いだろうな。
ネットで情報を調べると、復興支援のために被災地に移住し、支援の団体を設立するなどさまざまな支援を行っている人たちがいることを知りました。
移住か・・・。
今の生活は安定していましたが、常にどこか物足りないと感じていましたし、被災地に移住をして一から仕事を探し、ボランティアをしながら生きていくのも悪くないかもしれない。
こんな私でも、誰かの役に立つことができるのならば・・・!
収入は多めでしたが、独身貴族でそれなりに贅沢もしてきたため、貯金はさほどありません。
でも被災地で仕事を探すのだから問題ないだろう。
そう思いました。
こうして私は、長年勤めた会社を辞め、仙台への移住を決意しました。
住むところはわりとすぐに見つかりましたが、仕事の方はなかなか見つかりません。
多少の貯金があったため、初めはボランティアをしながら貯金で暮らしました。
毎日が充実し、やっぱり来てよかったと感じていました。
しかしです。
思った以上に仕事が見つからないのです。
被災した会社も多いでしょうし、無理はないのかもしれません。
短期の仕事ならあるのですが、今後も続けて行けて、ある程度の収入を得られる仕事がなかなか見つからないのです。
東京の給料を基準に考えていましたが、やはり甘かったようです。
それに加えて、40歳という年齢。
以前勤めていた会社では実績がありましたが、やはり畑違いの仕事ではそれは全く評価されませんでした。
その不安を打ち消すように、私はボランティアに没頭しました。
たくさんの仲間もできましたが、もともと全く知り合いのいない地です。
どうしようもない孤独感に襲われることもしばしばでした。
数か月が過ぎ、いまだにまともな仕事に就けずにいました。
さすがに、家賃や生活費で貯金は底をつこうとしています。
やはり、私には被災地を支援するなど無理だったのではないか?
自分なら何かができると、驕り高ぶっていたのかもしれません。
私の心は、だんだんとすさんでいきました。
東京に帰ろうとも考えましたが、よく考えると、もうそのお金すらありませんでした。
生活費がない。仕事が見つからない。
ろくに食べていない状態では、ボランティア活動で体を動かすこともできません。
自分の無力さに、情けなくなりました。
そんな時、自宅のポストにあるチラシが入っているのを見つけました。
それは貸金業者のチラシでした。
被災地には自宅が倒壊したり仕事が無くなったりした方が多いですし、そういった方を対象にしているのでしょうか。
私はそのチラシに目を通しました。
「低金利でご融資いたします」「生活資金にお困りの方は気軽にご相談下さい」
などと書かれています。
私も仕事が見つからず、食べるのにも厳しい状況でしたので、とりあえずお金を借りて、仕事が見つかったら返済していこう。
そう思って、そのチラシの連絡先に電話をかけました。
「そうですか、被災地支援のために移住を。それはご立派ですね。私どもがあなたの活動をお手伝いさせていただきます」
業者は優しくそう言ってくれました。
当面の生活費として数万円を借り、とりあえず短期間の仕事をしながらボランティアを続けます。
しかし、食費や住居費も払わなければらないため、その仕事だけでは業者に借りたお金はすべて返済できませんでした。
そのことを業者に話すと、
「分かりました。では利息だけを払って頂ければかまいませんよ。追加融資も、必要ならいつでもお申し付けください」
そう言って、返済を待ってくれました。
本当にありがたく感じ、早く長期的に働ける仕事先を探そうと頑張りました。
しかし、短期間の仕事すら見つからない日々が続きます。
これでは生活していけないし、ボランティアもできない。
私はつい、業者から追加で融資を受けてしまいました。
そうこうしているうちに、気が付くと利息がかさみ、私の借金は取り返しのつかないくらいに膨れ上がっていました。
私は今まで借金に縁がなかったため、金利についてあまり詳しくは知らなかったのです。
どうやら10日で5割ほどの金利がかかっているようでした。
調べると、これは明らかに違法でした。
騙されたんだ。
この業者は闇金だ!
気付いた時にはもう遅すぎました。
返済ができなくなると、闇金は何度も何度も電話をして来るようになりました。
「まだ金返せないのか。借りた金返せないお前みたいなやつが被災者を支援だと?笑わせんな」
「今直接取りに行くから用意しとけ。用意しなかったらぶっ殺すぞ」
などと執拗に脅されます。
仕事がないものは仕方がない。
返済できるわけがないのです。
私は恐ろしさのあまり、勧誘してきた他の業者からお金を借り、業者に返済しました。
しかし、当然勧誘してきた業者も闇金でした。
結局は激しい取り立てから逃れられず、借金は以前よりも増えてしまいました。
私のようなものが被災者を支援しようなんて、甘かったのです。
もっと綿密に計画を立ててから、移住を実行すべきだったのです。
そして、家や仕事を失った方たちをターゲットに被災地で闇金が横行するなど、本当に許せないと思いました。
被災地でこれ以上闇金被害に遭う人が増えて欲しくない。そう思います。
どんな事情があっても、やっぱり闇金からお金を借りてはダメなのです。
誰にも相談できない闇金は絶対・・・。
自分がお金を借りることになるなんて今まで考えたことが無かったので、金利などに関する知識が全くなかったことが悔やまれます。
闇金数社から、借金に借金を重ねてしまいました。
もう後戻りはできません。
闇金は、本当に恐ろしいです。