闇金相談横浜編 男性(25):飲食店の出店失敗…闇金へ
自分の店を持つ。
これが学生時代からの夢でした。
以前から料理が好きで、高校卒業後は調理師専門学校へ進学し、そこで調理師免許を取りました。
その後居酒屋やラーメン店などさまざまな飲食店で働き、ある程度の経験を積んだと思います。
飲食店で働くというだけでなく、休日には気になったお店を食べ歩きし、ノートに料理の感想や店の特徴などを書き留めておいてブログに情報をアップしていました。これも、自分の店を持つための勉強だと思ってのことです。
僕の食べ歩きノートは、大学ノート60冊ほどになるでしょうか。
とにかく食べることも作ることも大好きで、友人や彼女、両親などにも得意料理をたびたび振る舞っていました。
僕が作ったものを喜んで食べてくれる人たちがいる。
その状況がたまらなくうれしいのです。
僕の性格からしてあまり人から雇われることが好きではなく、自分のペースで仕事をしたいというのもありましたし、自分の店で多くの人に喜んでもらえる料理を出したいとずっと思ってきました。
今までさまざまな飲食店で働いたお金は、店の開店資金としてコツコツ貯金してきました。
出店するなら、オシャレな雰囲気の洋風居酒屋のようなスペインのバルのような・・・みんながくつろげて、気兼ねなく飲み食いできるような、それでいてちょっと隠れ家のような、そんな店を作りたいと考えていました。
出店するにあたって、一つ不安なことがありました。
それは、横浜という立地です。
もちろん人気エリアですし、横浜で出店できるのは嬉しいのですが、やはり貸店舗の家賃が高いのではないか?
という点では心配でした。
しかし一人暮らしをするとなるとそちらにもお金がかかりますし、まあ人が多いエリアならお客さんも入りやすいかな?
そう考え、実家から通える横浜での洋風居酒屋の出店を決意しました。
出店を決めた後、一緒に晩酌をしながら親父にそのことを話しました。
いつものように僕の作ったつまみをおいしそうに食べながら上機嫌だった親父は、僕の告白に急に顔を曇らせました。
「自分の店を持ちたいって気持ちは分かるけど、そんなに甘い世界じゃないんじゃないか?ちょっと前にあそこのビルの1階にできたラーメン屋だって、あっという間に潰れたじゃないか。店舗を借りたり厨房を作ったり、初期投資もバカにならないだろう。失敗したらシャレにならないぞ?」
恐れていた返事を、親父は口にしました。
「親父は昔からそうだ!僕は親父のそういうところが嫌いなんだよ!いつも無難なことしかしない。思い切ったことができない。失敗するかしないか、やってみなきゃわからないじゃないか。」
「そんな夢みたいなこと言ってたら生きていけないんだよ。この先食いっぱぐれるだけだぞ。さっさと安定した職に就いて、嫁でももらったほうが身のためだ。わざわざ自分の店なんか持たなくたって、安定した飲食店の厨房で働いた方が収入だって安定して入ってくるだろう」
「安定安定って!親父はそれしか言えないのかよ!僕は親父とは違うんだ。そんなんで人生楽しいのかよ?これは僕の昔からの夢だったんだ、もう決めたんだよ。貸店舗もリフォームも契約してきた。もう後には引けないんだよ」
「俺はな。お前と母さんを養うために必死で頑張ってきたんだ。親に対してなんだその口の利き方は!勝手にしろ。ただし、家からは出て行ってもらう。それに借金作ったとか言って泣きついてきたって俺はびた一文も払わねえからな」
結局親父は認めてくれず、しかも実家からお店へ通うこともできなくなってしまいました。
店の家賃と自分が住むところの家賃・・・どちらも負担しなければならなくなってしまったのです。
もう貸店舗もそのリフォームも全て手配済みだったため、横浜以外の場所に変えることは今さらできません。
その分、儲けを出すだけだ!
死ぬ気で頑張ろう。
そう決意し、開店の日を迎えました。
開店当初は、学生時代の友人が連日足を運んでくれました。
そして物珍しさも手伝い、見込んだ以上のお客さんに来ていただくことができました。
不安でいっぱいでしたが、これならやって行けるのではないか?
とホッとしました。
しかしです。
お客さんの入りは良かったものの、良い料理を提供しようという気持ちが強すぎるのかあまり採算が合っていないようでした。
つまり、売り上げの割には儲けが出ていないのです。
仕入れをし、家賃を払い、光熱費を払う。
そして、自分のアパートの水道光熱費や食費のほか、一人だけ学生のバイトを雇っていたので、その給料も払わなければなりません。
それで、いっぱいいっぱいでした。
コツコツと貯金してきたお金は開店資金として使ってしまったため、以前の店をやめた時の失業保険を残しておいたものを切り崩して何とか賄っている状態でした。
これではいけないと思い、僕は料理の食材など細かい部分の見直しを行い、少しでも採算が取れるようにメニューの変更などを行いました。
しかし、これが裏目に出てしまったのです。
以前自分が食べ歩きで辛口の評価をしていたように、今のお客さんというのは舌が肥えています。
コスパが良いか悪いかという判断にも長けています。
良い食材を使っているのに美味しい、安いお店を確実に知っているのです。
ある飲食店の口コミサイトでの僕の店の評価は
「可もなく不可もない」
「まあまあ美味しいけど、もっと安い値段で頑張ってる店はいくらでもあるし」
「うーん。悪くはないけど、リピはないかも・・・」
「雰囲気はいいのに残念」
などというものばかりでした。
そして開店から4か月余りで、客足はだんだんと遠のいていってしまいました。
これでは、店舗の家賃が払えない。
食材の仕入れができなくなる。
僕は焦りました。
あまりに採算が取れていないので銀行からは借りられないと思い、急いでいたのでひとまず消費者金融からお金を借りようと思いましたが、事業を起こしたばかりで継続的に収入があるとは言えないということで、どこも貸してくれませんでした。
そうこうしているうちに、貸店舗の家賃を2か月滞納してしまい、督促状が送られてくるようになってしまいました。
親父にあれほどデカいことを言って出て来てしまった手前、当然実家に頼ることはできません。
バイトの給料も払わなければなりませんし、もしこれ以上貸店舗の家賃を払えない状態が続くと店をたたまなくてはならなくなってしまいます。
夢だった自分の店。
こんなに早く潰れてしまうなんてやっぱり嫌だ。
そう思った僕は、なんとかお金を用意しようと焦りました。
そういえば・・・。
交差点の電柱に、貸金の貼り紙があったような。
記憶を頼りにその交差点まで行ってみると、確かにありました。
「他社で断られた方も安心」
「審査なし」
「即日融資」
貼り紙には、そう書いてありました。
普段の僕なら、なんだか胡散臭いなと感じて見向きもしなかったでしょう。
しかし今の僕には、どの言葉も実に魅力的に感じます。
早速その電話番号に電話をすると融資してくれるとの返答でしたので、融資を受けることにしました。
売上が出たら返そう。
きっと大丈夫だ。
カクテルのタイムサービスなどの新し試みで客の目を引き、再起を図ろうとしました。
でも、お客さんは良く知ってます。
安くなった酒だけを飲み、さっさと出て行ってしまうのです。
結局、借りたお金は全く返すことができませんでした。
業者はしつこく、利息だけは払ってもらわないと困ると食い下がりましたが、今はどうしてもできません、売り上げが出るまで待ってくださいとお願いすることしかできませんでした。
その日から、毎日何度も何度も取り立ての電話がかかってくるようになりました。
業者は、やはり闇金だったのです。
怒涛の闇金からの取り立て電話に苦しめられること2週間。
借りたお金には、納得のできないほどの高額な利息がついていました。
なぜ、僕がこんなお金を払わなければならないのか?
納得ができませんでしたが、相手は闇金です。
お金を借りて返していない手前、強く言い返すことなどできません。
その時は法務事務所に闇金相談をするなんてことも知りませんでしたし…。
「借りたもんは返すのが筋だろが?違うんか?」
「兄ちゃんよ、あんな店とっとと辞めて俺んとこで働けよ。食事つきのいい仕事紹介してやるからよ」
「それとも、臓器売って金にするか?」
闇金の脅しは、だんだんと過激になっていきました。
食事つきの仕事・・・。
それは、カップラーメン代やシャワー代などがあり得ないほど高く、半永久的に逃げ出せない強制労働の事を意味しているのだろうと思いました。
いわゆる、タコ部屋とかいうやつでしょうか。
僕は心底恐ろしくなりました。
闇金という、絶対に関わっていはいけない人たちに関わってしまったのです。
やっぱり、親父が言うように僕が甘かったのか。
確かに、開店前の計画が不十分だったという感が否めないかもしれません。
しかし、お金を借りる時に冷静にならず、闇金から借りてしまったことが一番いけなかったのだと思います。
今日、明日食べる物にも困る有様。
貸店舗と自宅アパートの家賃の督促もあります。
闇金からの取り立ては、携帯が止まってしまった今は家にまでやって来ます。
ドアを蹴られ、叩かれ、アパート中に僕の借金のことが知れ渡ります。
たまに他の住人と顔を合わせると、皆まるで汚らわしいものを見るような目で僕を見ます。
精神的にも肉体的にも、もう限界です。
闇金から逃れたい。
闇金から解放されたい。
僕の頭の中はその事ばかりで、とても店の事を考えられる状況じゃありません。
誰か、助けて。店を開店する前に戻りたい・・・。
そんなことを今さら考えても、もう後の祭りなのです。